
鹿児島大学 准教授 森隆子
「島で、保健師として働いてみませんか?」その誘いをきっかけに、私の島での暮らしはほぼ突然に始まった。当初の予定は10か月。10か月なら、まずは挑戦してみよう。そう決めてからわずか2、3週間後、私は島へと向かっていた。初めての島暮らし。民宿での間借り生活。はてさて、一体どうなることやら―そんな心持ちでのスタートだった。
「東洋の海に浮かび輝く一粒の真珠」と謳われる与論島は、鹿児島本土から南へ約600km、海を隔てた周囲23kmの島嶼である。県の最南端に位置し、かつて琉球王朝にも属した歴史をもつこの島には、今も琉球文化の影響が色濃く残る。人口はおよそ5,000人、高齢化率は40%弱。半数近くが単身世帯であり、独居の高齢者も増え続けている。少子高齢化が進む中で、地域全体で協力し合いながら暮らしを支える仕組みづくりが求められている。そんな島で、私は高齢者の総合相談窓口である地域包括支援センターに勤務することになった。
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島には、「小さな空間であっても、そのコスモスには人間生活と環境との相互作用の積み重ねがあり、ライフ(人生・暮らし・生命)の営みと環境との相互作用のすべてとその歴史がある」(長嶋,2019)という言葉がよく似合う。そこには人のつながりや暮らしの知恵が豊かに息づいている。小さくも凝縮された島世界を創造的に生きるにはどうすれば良いか。島暮らしは素人、土地勘もなく、よそ者としての立ち位置から始まる日々。手持ちの材料を眺めながら、試行錯誤が始まった。

鍵となったのは、「我が島への『発見』のある日常を生み出す、創発的なまなざし」だった。創発とは、関係性や対話を通して、新たな発見や気づきが自然に導かれる様相である。地域の暮らしや人びとの対話を丁寧に観ること、公私をゆるやかに越境しながら“場に浸る”こと。―いつしかそれが私の身体性の基軸となっていった。大切なのは、「おもしろく観る自分がいる」こと。場そのものがいつも特別におもしろいわけではない。“ふつう”にある創造性に気づこうとするまなざし。時にジレンマや苦しささえも、創造や創発の糧にしていける。そのプロセスを通して、次第に人と人、暮らしと暮らしがつながり、“創造的な場”が目前に醸成されていくのを感じた。
気づけば、当初10か月のはずだった滞在は2年10か月に延びていた。「ずっとこの集落(シマ)に居るのに、まだまだ飽きないね」―20年以上前に地域の先達からいただいた言葉が、今も私の価値観を形成している。島やへき地に生きることは、スキルを磨くこと以上に「人と暮らしの関係性を編み直す力」を育ててくれるのではないだろうか。島は一見閉鎖的に見えるかもしれないが、実は世界に開かれている。今、居る場をおもしろがり、小さな発見を積み重ねる先に、創造的な社会は育まれていくのではないだろうか。その鉱脈が、きっと島にある。
『著者プロフィール』
鹿児島県生まれ。鹿児島大学大学院修了後、同大学で助教として約13年間勤務。のちに鹿児島県最南端の与論町で2年10か月、非常勤保健師として地域に根ざした実践を経験する。2025年4月より現職。
【引用文献】
長嶋俊介(2019)「まえがき」長嶋俊介編『日本ネシア論』藤原書店, 2-4頁.